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2011年03月23日
人生の目標が決まりました。
私の両親は、東京の立川市に住んでいます。
最近、東京出張する際は、親孝行も兼ねて、ちょくちょく実家の立川に泊っています。
東京出張が増え、実家に戻って両親と話す機会が増えて、中村家の歴史など、今まで聞いた事がなく、全然知らなかったような話を聞いて「ヘー!!」と、ビックリしたり、興味が湧いたりと、良い刺激を受ける機会になっています。
つい最近、両親から私の先祖の話を聞いて、少し興味を持って、その先祖の事を調べてみると、何と、今回お手伝いさせて頂いている「霊能者の本間きよしさん」と今回のような震災につながるような歴史があって、本当にビックリしています。
少し長くなりますが、面白い話なので紹介させて頂きますと、昨年100歳の誕生日の直前に他界した父方の「お婆さん」の「お母さん」、私からすると「ひいお婆さん」に当たる人間は、「金原金(きんぱら きん)」という名前です。
この「ひいお婆さん」とは、子供の頃、立川の実家で同居していました。
この「ひいお婆さん」は、元々、「尾張 徳川家」の家臣である「三河 鈴木家」の娘で、その当時で言えば「お姫様」だったそうです。
で、明治時代に結婚した嫁ぎ先が、静岡の「金原(きんぱら)家」だったそうです。
この金原家というのは、江戸時代の豪農で資産家の家だった為、「お姫様」を嫁に迎える事で、更に格式を上げるという意味合いもあったようです。
この金原家の家主は、「金原明善(きんぱら めいぜん)」という人で、私は知らなかったのですが、明治時代を代表するような凄く有名資産家で、「静岡の人で知らない人はいない」とか両親から大げさに言われたので、興味を持ってネットで調べたところ、本当に物凄い人でした。
この金原明善という人をネットからの引用を含めて簡単に説明すると
「金原明善(きんぱらめいぜん、天保3年6月7日(1832年7月4日) - 大正12年(1923年)1月14日)は、明治時代の実業家。遠江国長上郡安間村(現浜松市東区安間町)出身。天竜川の治水事業・北海道の開拓・植林事業など近代日本の発展に活躍した。」
という人で、大雨による天災で天竜川の堤防が決壊した事で、今回の津波と全く同様に一瞬にして村全体を沈めてしまった事が、当時19歳だった彼の一生忘れられない記憶となり、最終的には、自分の私財全てを投げ打って、たびたび洪水を起こして地域住民に対して甚大な被害をもたらしていた、天竜川の治水工事を完成し、天災の被害から、その地域の住民を救ったという人だとの事です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8E%9F%E6%98%8E%E5%96%84
今回の震災では、まだまだ会社にお金がない為、私個人の範囲で、可能な限りの寄付をさせて頂きましたが、少なくとも、私が金原明善のDNAを引き継いでいるのは確かですので、何れは、金原明善のように自分自身の私財を投げ打って、今回のような災害が起きないような堤防などを全国に築き、安全な日本を作れるような人間となれる事を人生の目標に、毎日毎日を一生懸命働き続けたいと思います。
最近、東京出張する際は、親孝行も兼ねて、ちょくちょく実家の立川に泊っています。
東京出張が増え、実家に戻って両親と話す機会が増えて、中村家の歴史など、今まで聞いた事がなく、全然知らなかったような話を聞いて「ヘー!!」と、ビックリしたり、興味が湧いたりと、良い刺激を受ける機会になっています。
つい最近、両親から私の先祖の話を聞いて、少し興味を持って、その先祖の事を調べてみると、何と、今回お手伝いさせて頂いている「霊能者の本間きよしさん」と今回のような震災につながるような歴史があって、本当にビックリしています。
少し長くなりますが、面白い話なので紹介させて頂きますと、昨年100歳の誕生日の直前に他界した父方の「お婆さん」の「お母さん」、私からすると「ひいお婆さん」に当たる人間は、「金原金(きんぱら きん)」という名前です。
この「ひいお婆さん」とは、子供の頃、立川の実家で同居していました。
この「ひいお婆さん」は、元々、「尾張 徳川家」の家臣である「三河 鈴木家」の娘で、その当時で言えば「お姫様」だったそうです。
で、明治時代に結婚した嫁ぎ先が、静岡の「金原(きんぱら)家」だったそうです。
この金原家というのは、江戸時代の豪農で資産家の家だった為、「お姫様」を嫁に迎える事で、更に格式を上げるという意味合いもあったようです。
この金原家の家主は、「金原明善(きんぱら めいぜん)」という人で、私は知らなかったのですが、明治時代を代表するような凄く有名資産家で、「静岡の人で知らない人はいない」とか両親から大げさに言われたので、興味を持ってネットで調べたところ、本当に物凄い人でした。
この金原明善という人をネットからの引用を含めて簡単に説明すると
「金原明善(きんぱらめいぜん、天保3年6月7日(1832年7月4日) - 大正12年(1923年)1月14日)は、明治時代の実業家。遠江国長上郡安間村(現浜松市東区安間町)出身。天竜川の治水事業・北海道の開拓・植林事業など近代日本の発展に活躍した。」
という人で、大雨による天災で天竜川の堤防が決壊した事で、今回の津波と全く同様に一瞬にして村全体を沈めてしまった事が、当時19歳だった彼の一生忘れられない記憶となり、最終的には、自分の私財全てを投げ打って、たびたび洪水を起こして地域住民に対して甚大な被害をもたらしていた、天竜川の治水工事を完成し、天災の被害から、その地域の住民を救ったという人だとの事です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8E%9F%E6%98%8E%E5%96%84
今回の震災では、まだまだ会社にお金がない為、私個人の範囲で、可能な限りの寄付をさせて頂きましたが、少なくとも、私が金原明善のDNAを引き継いでいるのは確かですので、何れは、金原明善のように自分自身の私財を投げ打って、今回のような災害が起きないような堤防などを全国に築き、安全な日本を作れるような人間となれる事を人生の目標に、毎日毎日を一生懸命働き続けたいと思います。
Posted by 中村政史 at 16:37│Comments(0)